パアララン・パンタオ Paaralang Pantao 

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Paaralang Pantao (School for Humanity) in Payatas & Erap , Philippines

フィリピン ゴミの山の思いやりの学校
パアララン・パンタオ パヤタス校 と エラプ校

パアララン・パンタオ(思いやりの学校)は、フィリピン、ケソン市パヤタスのゴミ山のふもとにあるフリースクールです。
ゴミ山周辺の貧困世帯の子どもたちのために、幼児教育、学習支援を行なっています。

パアララン・パンタオ Paaralang Pantao

◆フィリピン、ケソン市パヤタス地区の旧ゴミ山の麓にあるフリースクール。貧困等の困難な状況にある子どもたちに基礎教育を提供する。1989年開校。初代校長はレティシア・B・レイエスさん。◆87年、レイエス先生が近所の母親たちに「子どもの勉強をみてほしい」と頼まれた。最初5人の子が1ヶ月後には40人を超えたことから学校を開設。地域の子どもたちに無償で教育の機会を与えてきた。◆2000年7月ゴミ山が崩れて数百人が犠牲になる事故が発生。多くの住人がエラプシティ(リサール州モンタルバン)に移住した。それに伴い03年エラプシティに分校を開校した。◆現在、パヤタス・エラプ地域の子どもたちの幼児教育、進学支援に取り組む。

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パアララン・パンタオ 支援のお願い
パアララン・パンタオの運営は、みなさまの真心によって支えられています。 子どもたちにとってかけがえのない学校を守るために、どうかご協力をよろしくお願いいたします。

郵便振替 : 00110-9-579521
名 称 : パヤタス・オープンメンバー

E-mailpayatas@fureai-ch.ne.jp

パヤタス・オープンメンバーは、1995年より、パアララン・パンタオの支援を続けています。

詳しくは ホームページ(2020まで) パアララン・パンタオ (fureai-ch.ne.jp)

2021年度からのニュースは、このブログの記事をたどってください。

2021クリスマス

パアラランのクリスマス🎄みんなで集まっての催しはできませんが、子どもたちや家族に、食料や文具玩具のプレゼント🎁12/17

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今年は、レティ先生の逝去という大変つらい、悲しい出来事がありました。でもレティ先生の心は、若い人たちに確かに伝わっています。

パンデミックが続くたいへんななかで、パアラランへのご支援を、本当にありがとうございます。とても励まされました。

良い新年をお迎えください。



2021 パアララン・パンタオの挑戦

★2021 パアララン・パンタオの挑戦

フィリピンの教育機関は、コロナ禍のため2020年3月からもう一年半以上も休校が続いています。パアララン・パンタオもクラスを開くことはできませんが、そのかわりに、ディスタンス・ラーニング(家庭学習支援)をはじめました。オンラインのクラス、週ごとのテキストの配布、家庭訪問を通して、3歳~5歳の50人以上の子どもたちの学びを支えてきました。
 今年度は9月23日から、新学期を始めています。たちまち20人以上が登録、これからさらに増えるでしょう。

パンデミックのなか、貧困地域の子どもたちの学習環境は悪化しています。大人たちが経済苦のためにスマホを売り、オンラインでの学習に参加できないケースも増えています。
 パアラランも、オンラインでクラスを開くことが難しくなっています。子どもたちが大切な幼児教育の機会を失わないように、こまやかな配慮が必要です。週ごとのテキストを適切に使って家庭学習できるように、感染対策をしながら、家庭訪問をして、サポートしていきます。
 
 レティ先生は亡くなりましたが、これからも、先生たち(ベイビー先生、レイレ先生、イエン先生、学生たち、友人たち)とともに、地域の子どもたちのために、パアララン・パンタオの教育活動を続けていく決意ですので、どうか、ご理解ご支援をよろしくお願いいたします。(写真 おうち学習がんばってます、の子どもたち)

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パアララン・パンタオ 支援のお願い

パアララン・パンタオの運営は、みなさまの真心によって支えられています。 子どもたちにとってかけがえのない学校を守るために、どうかご協力をよろしくお願いいたします。

郵便振替 : 00110-9-579521
名 称 : パヤタス・オープンメンバー

 

レティ先生のこと

レティ先生のこと

編集

パアラランのニュースレターの発送を終えました。遅くなりました。
9月6日にレティ先生が亡くなり、どうしても心を落ち着ける時間が必要でした。10月の終わり、レティ先生の息子のジェイコーベンが、長文のメッセージを寄せてくれました。(それを私の息子が下訳してくれて、ずいぶん助かりました。そういえばはじめて会ったころ、ジェイコーベンは今の私の息子の年齢でした。なんと歳月が過ぎたことか)

ニュースレターのために、昔の写真など探していたら、なつかしくて胸が痛くて、なんかたまんなかったのですけど、家族にはどれだけの思い出があるかしらと思います。

全文、載せます。

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(1999年8月の写真 ゴミ山で働くパアラランの生徒たちと、教室で読み聞かせするレティ先生)

 私の母の人生とパアララン・パンタオ

【レティ先生の子息のジェイコーベン・レイエスさんのメッセージ。全文紹介します。】

母が亡くなって47日が過ぎました。

全てのことがまだ本当のこととは思われません。彼女を失ったことは、とても大きな痛みです。彼女の直接の家族である私たちにとってだけでなく、彼女と一緒に過ごす機会をもち、彼女の人生の旅の一部になった多くの人々にとってもそうでしょう。

私はこのメッセージを準備しながら、悲しみや空虚さや、そして恐れ ──すでに彼女がこの世を去っていて、彼女を見送ることを受け入れることを意味する恐れを、感じずにはいられませんでした。一方で、それは一緒に過ごした時間を私に思い出させる機会を与えてくれ、彼女が私たち家族や、友人、パアララン・パンタオというコミュニティと分かち合ってくれたやさしさや愛を思い出させてくれました。

私の母、レティシア・レイエス ―─コミュニティでは、レティおばさん、レティ母さん、レティ先生、(日本語で)レティさん、レティ先生、として知られてきた人は、力強く、そして親切で慈悲深い人でした。

彼女は、人生を通して多くの困難を経験してきましたが、しかし前向きで、かつ気丈であり続けました。彼女が5人の子どもたち全員(私と4人の兄姉)でマニラに移住すると決めたとき、私たちには事前の準備は何もありませんでした。私は未だに、彼女が日銭を稼ぐために、一日じゅう親戚の人の洗濯をしていたことを鮮明に思い出せます。従姉の子守として働くときは、私を連れて行きさえしました。

そしてその後、ケソン市にある家を姉から勧められて、そこに住むことになったのです。ちょうど、その土地が、後にパヤタス・ダンプサイト(ゴミ捨て場)として有名になる場所に変わってゆく直前のことでした。

そう、その時も生活は厳しいままでしたが、彼女が、私たち家族に対してだけでなく、隣人に対しても、できることを何でもするような母親、そしておばあさんになることを、何ものも妨げることはできませんでした。

貧困は、私たちが持っていたほんのわずかの持ち物を、彼女が分け与えることをやめさせることはできませんでした。貧しいからといって、何かを与えたり、助けたりしないという理由には決してならないと教えてくれたのは母でした。皿の上にあるものは、どれだけ小さいものでも、食べ物がより少なかったり無かったりする隣人たちと分かち合うのだと、教えたのも私の母でした。

私が決して忘れられない出来事があります。私がまだ、1年生だったときです。毎日学校に持って行くための食事を、母が準備してくれましたが、彼女は、ランチボックスを、私が一人で食べきれないほどの量のご飯で一杯にしていました(卵焼きと塩漬けの魚だけが添えられていました)。なぜこんなにたくさんのご飯をつめるのかと、私が不満を言ったら、母はこう答えました。 

─―食事がない同級生がいたら、彼らと一緒に分けあえるようにね―─。

そのころ、栄養失調に陥っている同級生がたくさんいました。ダンプサイト(ゴミの山)で働くために勉強をやめなければならない同級生さえ、多くいました。私はまだ幼かったけれど、母の意図を鮮明に理解して、二度と疑問に思うことも、不満をもらすこともありませんでした。私が大学生活を終えても、働き始めても、彼女はランチボックスにたくさんご飯を詰めました。

こんな場面がよくありました。家に帰ると、母がパアララン・パンタオのボランティアの先生や、手伝いにきてくれる隣人に、食料品を分けていました。十分な給料を払うための予算がなかったからでもありますが。

 ただ単に食料や米や、何かしらの有形の財産を与えるだけではありません。母はもっとたくさんのものを分かち合いました。家庭内の問題を持った隣人、とくに酔った夫に責められて傷ついた母親が、よくやってきて、母にアドバイスを求めていました。

母は家々を訪ねて、子どもたちの様子を見てまわりました。パアララン・パンタオの生徒たちが学校に来なくなったり、ダンプサイトで働いているのを見ると、働かせる代わりに勉強させるよう親を説得しました。コミュニティの人々を守って闘い、地域に電気と水道を供給するために奮闘しました。

母について、とてもたくさんの良い出来事を思い出すことができます。

ああ、そして、彼女は私が学校で使う机と椅子を作ってくれました ―─母は大工にもなれるのかと驚いたものです。これは、私の小学校時代のことです。そのとき、私が通っていた公立の学校は、教室がわずか2つしかなく、十分な数の椅子がありませんでした。

数週間、母は作った椅子を私に学校に運ばせ、私はぬかるんだ道を500mほど毎日歩いていきました(このとき公共交通機関は十分に整備されていませんでした)。教室にはドアも門もないため、盗難のリスクを避けるために毎日椅子を持って帰らなければなりませんでした。

とてもしんどかったので、母は援助を求める決心をし、生徒全員分の十分な椅子を集め、なんと新しい教室を追加で作る援助まで得たのです!

私の母のことを分かち合おうとすると1冊の本ができそうですが、一三さんのニュースレターには十分なスペースがないでしょう…

最終的な考えを共有させてください…

母がパアララン・パンタオを立ち上げ、つくりあげてきたのは、家族をいたわる気持ちと同じ気持ちからでした。彼女は、家族へ向ける愛を、同じように他の人々に向けることができたのです。彼女は、母としての愛情を、家の外にも向けて、子どもたちのために安全な場所を作りたいと願い、そのようにしました。貧困が、愛情を分かちあうことを妨げることはありませんでした。事実は、愛情を分かちあう道をさらに強固なものにしました。

母のパアララン・パンタオについてのビジョンは、ただ無料の教育や物資、給食や医療的なミッションを提供するというだけでなく、人間みなが持っているすべてのもの ─―時間、経験、努力、知恵、愛といった無形の資源を分かち合おうとするものでした。

パアララン・パンタオは、ただ子どもたちを学ばせるだけの場ではなく、ボランティア、訪問者、コミュニティでの生活について体験し学びたいと思うすべての人々に対して、開かれている場所でした。

そして、母が私たちのもとからいなくなり……、

一三さんがパアララン・パンタオを続けますかと尋ねたとき、私はYES!と言うことをためらいませんでした。簡単な道のりでないであろうことはわかっていますが、母は私たちに多くのことを教えてくれました。
─―助けを与えるためには裕福である必要はなく、分かち合うことは、ただ持っている資源を与えるだけではなく、人生を、私たち自身を分かち合い、簡単であるかどうかに関わりなく、必要な人に手を差しのべることです。私たちは一人ではなく、助けあうということは、みなで分かち合うべき、すばらしい機会なのです。

母はみなさまに、個人的に感謝をする機会はなかったかもしれません。なので、私が母の代わりにそれをしたいと思います。そして母の業績を表現できる最良の手段は、彼女の事業を続けることだと思います。

みなさまの支援に心から感謝します。そしてパアララン・パンタオの旅の新しい章に、これからも、みなさまが共に居続けてくださることを、望みます。

Jaycoben Reyes

ジェイコーベン・レイエス

☆★

そんなわけで、パアララン・パンタオはつづきます。

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2007年エラプ校の増築工事が完成した頃

 

みなさまへ レティ先生逝去のお知らせ

★ レティ先生、逝去

みなさまに、とても悲しいお知らせをしなければなりません。

 

2021年9月6日、パアララン・パンタオの創立者であり、校長のレティシア・B・レイエス先生が亡くなりました。79歳でした。

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1989年、レティ先生は、パヤタス地区(のちにはパヤタス地区とエラプ地区)で、ゴミ拾いなどに従事する貧困世帯の子どもたちのために、パアララン・パンタオを開校、以来30年余、一貫して地域の子どもたちの教育に心血を注いでこられました。

10年ほど前から、何度か入院し、数年前からは車椅子でしたが、パヤタス校で生活を続け、パアララン・パンタオの若い先生たちを支えて、子どもたちの教育に尽くしていました。

この7月に体調を崩し、入院治療、退院の後、骨折で再入院、手術。コロナ禍でマニラは医療崩壊していましたが、家族の尽力でできる限りの治療を受けることができ、8月はじめに退院、パヤタスにもどり、回復につとめている矢先でした。


9月10日の夜に、オンラインで、フィリピン、シンガポール、日本、アメリカから、レティ先生の家族、親族、友人たち、奨学生たちが参加してお別れの会を開きました。9月11日、墓地に埋葬されました。

突然の訃報に、ただただ悲しいのですが、レティ先生に出会えたことに、感謝は尽きません。

謹んでご冥福をお祈りします。

レティシア・B・レイエス(Leticia B. Reyes)先生

 

1942年6月13日生まれ。

ホセ・リサール大学卒業。

6人の子(息子3人、娘2人、養女1人)の母。

82年にパヤタスに移り住む。半年後パヤタスにゴミが捨てられはじめる。ダンプサイト(ゴミ山)隣人組合の代表として地域住民のために奔走するなか、87年頃から地域の子どもたちの教育に取り組む。

89年パアララン・パンタオ開校時より校長をつとめ、のべ7000人ほどの子どもたちに教育の機会を与えてきた。
2021年9月6日、永眠。

 

★ みなさまへ

 みなさまのとても長い間の友情とご支援のおかげで、母は、パアララン・パンタオをつくり、貧困地域の子どもたちに教育を与えるという仕事を続け、その人生をより素晴らしいものにすることができました。── まず、ご遺族からの、心からの感謝をお伝えします。

 レティ先生が亡くなった9月はじめ、パアラランの先生たちは、新学期に向けての準備をしていました。この数年間、実際の教育活動は、若い先生たちだけで、すすめることができるようになっていて、子どもたちのためにパアララン・パンタオを続けることに、不安も迷いもありません。  

レティ先生を失った悲しみをこえて、パアラランは新学期の活動をはじめています。

これからも一緒に歩んでいきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

 

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9月11日埋葬の日の朝のパヤタス校 花壇に、近隣の人々が灯してくれていたろうそくが残っている。